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用語用語
言語障害
言葉を話したり理解したりすることが正確にできないこと。伝達障害の失語症と構音障害がある。
特定疾患
難病(なんびよう)で、厚生労働省が特に定めたもの。
身体障害者手帳
身体障害者福祉法に定める身体障害者の証明書であり、その更生を援助し、福祉の増進するためのもの。
人工呼吸器
全身麻酔や呼吸不全の際に、気管に挿入したチューブからポンプで空気を送り込み、人為的に呼吸を行わせる装置。
嚥下障害
疾病や老化などの原因により飲食物の咀嚼や飲み込みが困難になる障害。
エンシュア
調剤薬局・院内薬局あるいは院内での処方で、服用する事が出来る経管栄養剤。
吸引器
気道を確保するために口腔内の 痰や分泌液、洗浄液などを吸引する装置。
胃ろう
お腹から胃に穴をあけ、その穴にチューブを取り付け、
そこから水分や栄養補給するというもの。

 

 
ALSとは
 
ALSの日本語名は「筋萎縮性側索硬化症」といい、運動神経が障害されて筋肉が萎縮していく進行性の神経難病です。野球選手のルー・ゲーリックがこの病気だったことが有名で、ルー・ゲーリック病とも呼ばれています。 国により難病認定されています。病気が進むにしたがって、手や足をはじめ体の自由がきかなくなり、話すことも食べることも、呼吸することさえも困難になってきますが、感覚、自律神経と頭脳はほとんど障害されることがありません。進行には個人差がありますが、発病して3〜5年で寝たきりになり、呼吸不全に至る場合には人工呼吸器を装着しなければ生き抜くことができなくなります。球麻痺からの発病は、予後が悪く平均寿命は、1年7ヶ月となっているようです。10万人に3〜5人の発症割合の稀少難病で、残念ながら現在のところ原因も治療法もわかっていません。一般 に40〜60歳で発病し、患者は全国で6,646人(平成14年厚生労働省調べ)程と言われています。
 
◆お義母さんのALS歴
   
2004年2月 「話す時に、モゴモゴする気がする」と、自覚症状が現れる。
本人以外には、普段と変わらない様子に見えたので、病院には行かず。

2004年3月 不安が消えず、地元の総合病院へ来院。大病院からの出張医と会う。
同時期、同じ病院の脳外科などを受診したと話していた。

2004年4月 徐々に、言葉が聞き取りづらくなる。以前から、通院していた病院には
「高血圧のせいかも」と言われたが、一向に症状が良くならないために、
3月来院した総合病院に通うようになる。

2004年5月 検査をしているが、検査結果は異常なし。脳にも影は見られず。
担当医から「別の検査をしたいがここには設備がないので、一度
私のいる病院に入院して、詳しい検査してみましょう。」と言われる。

2004年6月 明らかに言語障害が進み、筆談中心になる。
中旬に10日程度の検査入院。入院中は、毎日検査ばっかりとのこと。
この時に初めて、私と主人は主治医に会うが「ALSの疑いがあります」と
まだ決定ではないけれど、万が一のことを考えてALSに関するビデオと
小冊子をもらう。ALS協会の話や、患者会の話などをいろいろ聞いた。
「ALS」と診断するには、確証がないと言えないらしい^^;
「12月まで様子を見ましょう。症状が変わらなければ別の病気かも。
進行するようであれば、ALSと思って間違いないでしょう」と言われる。

2004年7月 徐々に、会話にならなくなるが、近所の人とは今まで通りに会話可能。
近所の人は、かなりの高齢なので・・・会話を聞いてみたら、お互いが
話したいことを話してるだけだったが、話すことが不便だという共通点が
あるからか?
高齢者と話すのには、問題がないみたい。電話も取ってる。

2004年8月 言語障害的には、会話の流れを考えれば、筆談なしでも会話可能。
突然、話の主旨が変わると「???」になる。
この頃から、固形物を飲み込みにくくなる。

2004年9月 普段と変わらない行動パターンが続く。日帰り温泉にも行ってる。

2004年10月 話すことが不可能に近いくらい、言語障害が進み、会話にならないので
一人で出歩くことに不安を覚えるようになった様子。
「ALS」と診断され、特定疾患障害者手帳の申請を薦められる。

2004年11月 話せないので、病院に一緒に行ってほしいと言われる。
人と話す場所に行く時には、必ずメモ帳を持つように伝えているが
忘れることが多々ある。この月の診断で、義母の検査中に私だけが
呼ばれ「人工呼吸器」をどうするか、本人に次回の診察で聞こうと
思っています。と、言われる。嚥下障害も進み、飲み物も飲めない。

2004年12月 固形物が全く食べれない。おかゆにしているが、それも食べれない。
飲み物も飲めないので、体力の低下が著しい。エンシュアを薦め、
お義母さんの希望もあり、医師に出してもらうことに。
定期的に肺活量を診ているが、50%を切った。口角の筋力がない
のが原因かも・・・と、血液中の酸素を調べてみた。ギリギリだけど
正常値内らしく、今のところ人工呼吸器の決断は決めなくていいと。
ただ、考えていてください。と言われた。
タンの排出が難しくなったようなので、吸引器の話をしたところ、
「今すぐ欲しい」と頼まれ、近くの医療機器店に注文し取り寄せ。
息苦しさから開放されるので、積極的に自分で吸引してる。

2005年1月 食事ができないこともあり、歩くのにも時間がかかるようになる。
素人判断だったけど、明らかにエネルギー不足によるものと思い、
胃から取る食事の話をした上で、医師に相談し、お義母さんにも
説明してもらう。病院の先生は、ポイントしか言わないので困る。
患者の性格にもよるだろうが、「こうすれば、こうなって良くなる」
と言う説明が欲しい。私の母も、胃ろうをやっていたので、話を
している。ただ、医師の説明を聞くよりも、経験者の話を聞く方が
自分がどうなるのか分かって安心するようだ。

2005年2月

12月くらいに、首の動きがおかしい事に気づいた。偶然かな?と
思っていたが、本人に聞いたら痛くて曲げれないとのこと。
医師によると、筋力の低下で無意識にかばっているため、変に
力が加わり、筋肉痛になっているとのこと。シップをもらう。
手の力も弱まってるらしく、右が9kg・左が6kg。元々、力が無い
ので、あまり気にしてない様子。2月中旬に胃ろう手術決定。


2005年3月 胃ろう手術の結果、明らかに体力回復。
胃ろう手術をするには、皮下脂肪ありすぎ!と指摘を受ける(笑)
体力が戻り、以前のように歩ける。買い物にも出かける。
これで、話せたら普段通りなんだけど(^^ゞ
3月の検診では「人工呼吸器」を付けるかどうかの【現在の希望】
を聞かれ「NO」と即答。予想はしてたけど、考えてたんだね。。。

3月末にも検診があり、気管切開or喉頭摘出手術を受けるための
検査入院をすることになりました。
お義母さんの希望も、先生の希望も「喉頭摘出手術」です。

2005年4月

『筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者さんにおける
心臓病発症に関する調査について』
という用紙を先生にもらいました。今回は、この検査も兼ねています。
入院中は、呼吸リハも含めて、有意義な?入院生活を送ることが
できました。呼吸リハで分かったことは、横隔膜の筋肉がほとんどなく、
深呼吸や呼吸が難しいとのこと。
プログラム表には、介護チェックのような項目があり、起床の欄は
「要介護」にチェックがついてました。


2005年5月

前から握力が低下しているのが気になっていたけど、
入院すると、どうしても「寝る」「検査する」の二つしかないために、
筋肉が落ちやすいみたいです。
退院してからは、それも含め「運動機能」の低下も目立つかも。
握力は、左が4kgで右が6kg。
お義弟さんの食事を作る際に「菜箸」をうまく持てないと言っていたので、
「木べら」の利用を勧めました。
肩の関節が硬くなってきていて、腕が上がりません。
痛みもあるようです。本人が行うリハビリは困難な面もあるので、
家族が動かしてあげるのもイイそうです。
痛いからと言って動かさないのは、更に動かなくなるので・・・
と言われました。納得!
でも、一緒にやってあげられる時間もないので・・・
家庭でできるリハビリテーション」の本を購入し、説明しただけ(-"-;)
私ってば、鬼嫁???


2005年6月 17日に「喉頭摘出手術」が決まりました。
お義母さんの場合「呼吸をしやすくする」のが目的ではなく、
「タンやツバが気道に詰まり、窒息するのを防ぐ」のが目的です。
ツバを飲み込むことができないので、口の中に溜まり苦しくて・・・
夜は、寝付けないそうです。
そんな状態での「眠り薬」の処方は、危険を伴うため・・・
手術までは我慢(>_<)頑張れっ!お義母さんっ!

17日に、無事手術が終わりました。午後1時30分から午後9時まで
という、7時間30分にも及ぶ長い時間がかかりました。
手術後に執刀した先生から、お話を聞くことが出来ました。
切り取った部位(喉頭)や術中の様子を納めたデジカメ。。。
出血も、ほとんどなく傷口もキレイになってるとのこと(^-^)
翌日、麻酔が切れても、様子が変!麻酔科の先生によると、
長い時間身動きしない状態だったので、動けるようになるまでは
時間がかかるとのこと。
ALSという病気のため、健常の人よりも回復が遅いそうです。
痛みは無いけど、夜眠れずに「睡眠障害」に陥ってしまいました。
幻覚が見えるようで、怯えていました。
「恐ろしいものが見える」と壁や天井を指差します。元に戻すには、
朝は部屋を明るくし「朝」ということを認識させ、夜は「夜」ということを
認識させ、今いる場所や家族が傍にいることをきちんと認識させなけれ
ばいけないそうです。

回復した頃に「縫合不全」!つまり、縫ったところ(のどの中)が
引き裂かれたように破れているとのこと(>_<)
原因は、激しいせきや(つばの)飲み込み。一応「禁止」されていたの
ですが、「ゴクン!!」という飲み込みのあと、体が飛び起きるくらいの
せきが続いているため、縫い合わせた傷が破れてしまったみたいです。
22日に、また全身麻酔をして再手術となりました。
今回は、食道も一旦、外に出す形をとります。気道(気切孔)の上に、
さらに食道の穴を開けました。この皮膚が硬くなるのを待って、傷口を
閉じて終了です!今回の手術は、短時間だったため、麻酔も切れるのが
早く、意識障害もなし☆
翌日から、リハビリが始まりました!
リハビリの目的は「入院前の状態に戻す」こと。
入院前は、家事の全てを自分でやっていましたので・・・。
月末には、起きる・寝るの時だけ、介助が必要なくらいで、トイレも自分で
やれるし、歩いてました。

2005年7月 リハビリの効果か・・・入院する前よりも動けるようになりました!
ただし、首の筋肉は、まだまだで・・・。起き上がったりするには、
早いそうです。「今は、腕の力をつけることが先」とリハビリの先生に
言われ、自主練?!やる気満々のお義母さんでした。

個室から大部屋に移ったため、一日中(交代ですが)付き添いをしていた
私たちは、夜は家に帰ることになりました。
お義母さんも「来ても何もすることがないから、、2,3日に一回でいいよ」
と言ってくれ・・・8日と9日は主人だけが病院にお見舞いに行きました。
仕事で泊まりだったので、2日連続のお見舞い☆
私も行きたかったのですが、自分の方の病院に行かなければならず、
断念。(私は、薬がないと生きていけませんので)
「次は、12日だね〜」なんて話していたのに・・・。

日付が変わり、12日の1時50分に永眠しました。
夜中に「容態が急変したので、すぐに来て下さい」と電話があり、
駆けつけたのですが車で急いでも1時間はかかります。
部屋に着いた時には、もう息をしていませんでした。
夜の看護師は、患者が50人に対し、2〜4人のローテンションです。
見回りの時には、もう心停止の状態だったそうですが、苦しんだ様子も
無く、ナースコールを押したわけでもなく・・・。
誰も見ていないので、分からないのですが・・・。
夕方の検診では、何も変わった様子はなかったとのことでした。
原因は分からないままで・・・死後CTを取りましたが、何も問題なし。
担当医の先生も、肩を落としていました。
先生も私たちも、回復に向かっているとばかり思っていました。
実際、日に日に元気になっていましたし。
2週間後には、食べる練習が始まる予定でした。

非常に残念な結果となりましたが、このサイトは、このまま残します。
ブログもメーリングリストも、とりあえずは残しておく予定です。
少しでも、このサイトがお役に立てれば幸いです。

応援してくださった皆様、本当にありがとうございましたm(__)m